路傍亭@はてなブログ

備忘録とか記録とか

浮き足立つとサッカー

(日本の民族舞踊において)飛び跳ねることが忌避されたことは、浮き足立つとか、跳ね上がるなどの言葉がそのまま非難であり、批判であることからも想像がつく。腰が据わっていないという言葉にしてもそうだ。
 だがバレエにおいては反対に浮き足立たなければならないのであり、跳ね上がらなければならないのである。腰もまた、気持ちとしてはつねに、上に引き上げることが基本なのだ。

「身体の零度」三浦 雅士 p150

これは三浦が、日本の舞踊と西欧のバレエを比較し、日本のナンバに代表される所作と西欧の所作、さらには価値観の違いを論じたものである。
 この浮き足立つについての引用をもうひとつしよう。

ファジアーノの手塚監督のインタビューによると、選手がベガルタサポータの大声援で舞い上がってしまったと言う趣旨の発言があったが、そう言う事もあって結構前に来てくれたのかもしれない。サポータ勝ちか、それはそれで結構。

武藤文雄のサッカー講釈: 調子を取り戻したベガルタ

これに限らずサッカーの大声援は、敵味方にかかわらず選手を鼓舞しながら、浮き足立たせるものであるように思える。

 これを併せて見ると、サッカーはそもそも西欧のスポーツであり、もしかするとバレエのように浮き足立ち跳ね上がった状態でプレーするように進化してきたと考えられるのではないか。ブラジルのサンバがサッカーと相性がいいことを考えるとその思いは強くなる。

 してみると日本サッカーが強くなるには、常に「浮き足立ち舞い上がった状態」を常態としてプレーを考えるべきではないのだろうか。落ち着いてプレーしなければとか舞い上がらないようにとか努力することが、日本のサッカーを強くしきらない原因であるとは考えられないだろうか。
 あるいは真逆に、日本的な「腰を据えて行うサッカー」(それがどんなものか判らないが。)を開発するというのも手かもしれないが。