八木アンテナというのは、効率よく伝播を送受信できる優れもののアンテナで、その名のとおり昭和のはじめの頃の日本人(八木さんと宇田さん)の発明なのだが、よく知られた有名なエピソードがある。
皮肉にも日本軍が八木アンテナの存在を知ったのは敵の捕虜から
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などにあるとおり、『日本軍が八木アンテナの存在を知ったのは1943年にシンガポールのイギリス捕虜から。それまでは八木の名前も知られていなかった。これに驚愕した日本軍部は急遽、八木アンテナを使ったレーダーの開発に着手するが完成したのは1945年で、何の役にも立たたず敗戦を迎えた。』というもの。
ただ戦前の日本で八木アンテナが実用化してなかったかというと、さにあらず。
Wikipediaで申し訳ないが、山形県の飛島の項目に以下のような記述がある。
1933年(昭和8年)に、東北大学の八木秀次博士らによって開発された八木・宇田アンテナを使った初の公衆無線電話が、飛島 - 酒田間に開通。島内に「無線通信発祥の地」碑が立っている。
飛島 (山形県) - Wikipedia
1933年には少なくとも無線電話として実用運用しているのである。この事実から八木アンテナ自体を日本軍が知らなかったとは考えにくい。
多分、実際は八木アンテナは知っていてもレーダーに活用することまでは思いつかなかったというところではないだろうか。前者のエピソードの原典を確かめる必要があるなあ。