路傍亭@はてなブログ

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日本笑い学会15周年記念研究会(11月21日)

11月21日に日本笑い学会の15周年記念研究会が御茶ノ水明治大学リバティタワーで開催さされました。笑い学会は笑芸(お笑い)に限らず笑いに関する多種多様な調査研究が取り組まれていて面白い会です。私は月例会にはほとんど出席していませんが、一応学会員ですので、聞きにいってきました。

階段教室に聴衆は100名余り。内容は3部構成。
第1部は「若者の笑いシニアの笑い」という題で、各地のフィールドワーク調査の報告
第2部は「笑いのサイエンス・テクノロジー」という題で、測定器やロボット開発の報告
第3部は「ルネッサンスの笑いと叡智」という題で、中世フランスのユーモアについての講演

第1部は4名。瀬沼文彰氏(西武文理大学)は、渋谷で若者(16歳から29歳と定義)にインタビュー、若者の会話を頼み込んで録音してもらうなどして、若者の笑いの実態、笑いに対する意識を調査した報告。若者が「笑う場笑わない場という空気を読む」のを重視するのは10年前から変わっていないとか、「面白くなければならないというプレッシャー」「友達といるのは楽しくなければならないというプレッシャー」が強く、笑い過ぎる社会というのも問題じゃないかという分析は納得。教養主義の没落からまじめな子叩きの話は、2番目の松田和枝女史(中学校養護教諭)の、「今の中学生は皆、先生にも明るく笑って挨拶ができる。昔の私たちはしかめ面でそんな挨拶はできなかった」という分析の裏表になっているような気がした。

3番目の小向敦子女史(高千穂大学)はシニアのユーモアについて、江戸のシニア文化がメインカルチャーだったころを引き、近未来、2030年には年間 140万人が死亡する『大量死時代』(この言葉は笑いとともにインパクトが強く、この後、多数の発表者に引用された)に、「死が悲しいままなら、時代はウツになる」とし、シニアがユーモアにおいて若者に負けない面は「自虐」、「死すら笑いに変えるユーモア」ではないか。「オムツをはいて格好良く振舞うのは困難」だが「どんな外見になってもなれるのは面白い人」とし、「ボケて死ぬ」のではなく「死にあたって最後のボケをかます」「哀れをモノノアワレとしたようなユーモアを持つ」などなど、ややもすればブラックなユーモアを淡々と語る語り口と、観客の年齢層が団塊世代が中心なものだから場内大爆笑の嵐。死をもユーモアにすること、大量死時代に向けて考える必要があるのでしょうなあ。
4番目の岡晴夫氏(慶応大学)は中国と日本の笑いの文化差を文学から分析したものでした。

第2部も4名。広崎真弓女史(京都大学)は、関大の故木村先生の「横隔膜式笑い測定器aH(アッは)」の解説。横隔膜と腹筋と頬筋の筋電計から笑いを腹からの笑いと作り笑い、カラ笑いに分析できることとのこと。作り笑い、から笑い(黄門様が番組の最後にはなつ笑いのようなもの)では見事に横隔膜が動いていないデータが示されていた。
松村雅史氏(大阪電気通信大学)は、喉に接触マイクを取り付けその音声から日常生活の笑いを長期間にわたり被験者に負担をかけずに調査する手法を紹介、笑い声は音声的には短い間隔で周期的に発生される発生であるとのこと。
笑いの回数(3日間笑え/3日間決して笑うな)とストレス値(コルチゾール値)の比較で、日常わらうことでストレスが低減するを報告。また笑い声は、若いほど周期が短く、歳をとると周期が長くなる(すばやく笑えない)ことなどは、笑いの演技につかえるなあと思った。

3人目の久間英樹氏(松江高専)、4人目の森口睦子女史(株キットヒット)は、笑いを生み出すロボットの研究。久間氏は「癒しロボットは人が付きっ切りで面倒をみる。私はそんなロボットをなで続けていたくはない」とし、人と人とのコミュニケーションのきっかけとなるロボットを研究しており、
人間は音声に反応するロボットを面白いと感じること、反応動作の速度が速いほど面白いと感じることを報告、森口女史は、案内ロボットの音声アルゴリズムを作成しており、「聞き取りの誤認識」「知らない言葉を聞いたとき」のフォローやはぐらかしから笑いが生まれるという報告でした。
両者から出たのが、日本では「ロボットに完璧を求めすぎるので家庭への普及はないだろう」「ロボットのエラーを認め、それをフォローするような方向の開発が、ロボットとの/を通じたコミュニケーションを発展させるのではないだろうか」というまとめでした。

第3部は宮下志朗氏(東京大学)の中世フランスのリヨンの時代背景とラブレーの解説でしたが高尚すぎてこれはよくわかりませんでした。

12時半から17時まで長時間でしたが、どれも興味深い話で、また、各人ともユーモアをふんだんにとりこんだ語りで笑いが絶えずあっというまに終わった研究会でした。